人生100年時代!実体験の健康や学びを発信!

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人生100年時代! 読書は知識取得の宝庫 【vol.14】「最終章」限りある時間の使い方 (暗闇の中で一歩を踏み出す)

 おはようございます!今朝は晴天!今朝の気温は10℃、湿度は70%、風が無く穏やかな朝を迎えています。最近は、天候に恵まれた朝が多く、とても気持ち良い朝が多いですね。朝日を浴びることができるので、身体のリズムが整うだけでなく、幸せホルモンが分泌されるので心身ともに健康でいられる気がしています。

 

 今朝についても、習慣のルーティン活動をしています。「起床時のアファメーション、ながらウォーキング(耳活、柔軟、腋や腸などのマッサージ、観察や自然を味わう)、野菜やタンパク質中心の朝食、Twitter、ブログ、コーヒータイム、読書)。大変充実した時間を過ごせています。

今朝の公園1

 

 今朝の空気もとても澄んでいました。耳を澄ませると、遠くの電車の走行音が漂ってきており、小さな鳥の声も聴くことができました。カラスや車の走行音がなかったので、落ち着いた環境の中、自然の音も楽しむことができました。早朝で、まだ動物や人が活動し始める前だからこそ堪能できることだと思います。朝活の醍醐味の一つですね。

 

 

ついに、この書籍の最終章になりました。とても納得のいく部分が多いので、本書の記載内容を中心に書いていきます。

【第十四章】暗闇の中で一歩を踏み出す

 私たちが交通渋滞に文句を言い、幼児がさっさと動いてくれないことでイライラするのは、自分がスケジュールに対してあまりにも無力である事実を認めたくないからである。時間を支配するという究極の幻想を追い求め、宇宙に爪痕を残したいという無謀すぎる願いを捨てられないからである。

 あまりにも限られた時間のなかで、すべての重要な計画を成し遂げることは不可能である。だからこそ、人生は必然的に、厳しい選択の連続になる。時間を思い通りにコントロールできない私たちは、この先もずっと不安を抱き続けるだろう。

今朝の公園2

「終わらない準備期間」

 私たちは決して時間を手に入れることができない。なぜなら、私たち自身が、時間だか らだ。自分が時間そのものだとしたら、時間の上に立とうとか、支配しようという考えは意味をなさない。何かを支配するためには、そこから離れて、外側に足場をみつけなくてはならない。でも、時間の外に出るなんてことはできない。

 時間は本来的に不確実だから、そこに安心や確実さを求めようとあがくなら、人生はすべて本番前の準備段階になってしまう。自分の生まれてきた意味は常に地平線のすぐ向こう側にあり、そこに辿り着いてからが本当の人生であるかのような感覚。

 もっと自己管理がうまくいったら、学位を取得したら、子供を産んだら、、、等々。それらの後に、何の心配もない、意味ある時間を過ごすことができるはずだ、と。

 現実には、やるべきことはいつだって終わらない、何かを捨てることは避けられず、世界を好きなだけ速く動かすことはできない、どんな経験も痛みを伴わずにうまくいく保証はどこにもない。そして、宇宙的な観点から振り返れば、すべてはまったく意味のないものに終わる可能性が高い。

 痛みが必然であることを受けれれば、自由がやってくる、ようやく人生を生きられるようになる。

 

「人生を生きはじめるための5つの質問」

質問1

 生活や仕事のなかで、ちょっとした不快に耐えるのがいやで、楽なほうに逃げている部分はないか?

 

質問2

達成不可能なほど高い基準で自分の生産性やパフォーマンスを判断していないか?

 

質問3

ありのままの自分ではなく「あるべき自分」に縛られているのは、どんな部分だろうか?

 

質問4

まだ自信がないからと、尻込みしている分野は何か?

 

質問5

もしも行動の結果を気にしなくてよかったら、どんなふうに日々を過ごしたいか?

今朝の朝焼け風景

「それしかできないことをする」

 本書にはユングという人物の発言としてこのように書かれています。

 「人は、ただ、自分のできるように生きるだけです。唯一の正しい生き方なんてありません。つまり、個人の人生とは、みずから切り拓いていく道であり、誰も通ったことのない道であるということです。前もって知ることはできません。一歩を踏み出したとき、そこに道ができるのです。ただ静かに、目の前のやるべきことをやる。やるべきことがわからないなら、きっと余計なことを考えすぎるほどにお金がありあまっているせいでしょう。次にすべきこと、もっとも必要な事を確信もって実行すれば、それはいつでも意味のあることであり、運命に意図された行動なのです」と。

 

 最後に、こう書かれています。

 どれだけ多くの人を助けたか、どれだけの偉業を成し遂げたか、そんなことは問題ではない。時間をうまく使ったといえる唯一の基準は、自分に与えらえた時間をしっかりと生き、限られた時間と能力のなかで、やれることをやったかどうかだ。どんなに壮大なプロジェクトだろうと、ちっぽけな趣味だろうと関係ない。大事なのは、あなただけの次の一歩を踏み出すことだ。

 

 これで、本書のおはなしは終わりになります。

 私は、本書を読むことで、時間とは自分自身であることを判断しました。仮に、私がこの世にいない、つまり死んでしまえば、私という時間は無いです。他の人が生きていようと、たとえ世界がこれからも残っていようと、私が存在しなければ時間はありません。とても革新的な気づきだと思います。スピリチュアルな意味としてとらえるかもしれませんが、そんな、自分という時間を誰に使われようというのでしょうか。

 仕事や家庭、他人とのコミュニケーションなど、生きていくうえで必要なこともあります。しかし、自分の人生、楽しまずに苦悩を重ねてばかりで、いつかは楽になる、悩みがなく過ごせるといったのはあるのでしょうか。私は、本書に書かれた通りないと思います。それであれば、今の一瞬の時間を、自分のために生きることが何よりも大切であると思います。

 物事の一つの考え方次第で、良くも悪くもなります。仕事にすべてを忙殺され、心身を壊してしまう人もいると思います。立ち止まり、それほどまでに執着しなくても大丈夫な方法はないでしょうか。

 自分だけの人生、何かに追われ、追うのでなく、肩の力を緩めて、自分を優しく認めてあげてはよいのではないでしょうか。もっと気楽に生きよう!と。

 

人生100年時代!今日も一日一歩ずつ進んでまいりましょう!今日もよい一日を!